空堀商店街という歴史ある商業施設に加え、古民家を生かした様々な新しい施設が生まれています。
皆様とともに新旧を織り交ぜた快適な性格環境を作りましょう!
皆さんの暮らしを豊かにすることを目的とする会です。
各町会への入会を随時承っています
言わずと知れた空堀商店街
直木賞で有名な直木三十五の文学碑
古民家利用の先駆け「れん」
大阪城を中心に発生し、整備された大阪の町である桃園地区、都市化で歴史の名残が消えている中で、 町の由来から住んでいる桃園地区の楽しみや面白さをみなさんも見つけていただけると嬉しいです。
町名の特徴
大阪市中央区には、大阪城由来の町名が多く見られます。特に大阪城の天守閣の「瓦」の材料である土の採取場である「野漠」からの発生が面白いです。
野漠(のばく)
「野漠(のばく)」とは瓦の土取場のこと。大阪城が「大阪夏の陣」で焼けてしまい天守閣を建て直すための瓦が必要であった。城の瓦の製造には大量の土が必要であることから寺島家の土地が提供された。
松屋町
松屋某(なにがし)の屋敷があったことに由来する。
「マッチャマチャ、かしん屋」とうたわれた菓子問屋街として有名だったが、おまけの玩具から玩具商も多く、さらに人形商の町として発展した。
東賑町&西賑町
野漠とよばれた地域を、商売繁盛の地になるように祈って付けたことに由来する。冠称の「西」「東」はそれぞれ地域の西、東部に位置することによる。
南空堀町
天王寺区空堀町と区別するため昭和19年に南と冠称されたものだが、空堀は豊臣時代の大坂城三の丸の外堀の町筋に当たると伝えられていることに由来する。
内安二(安堂寺町)
安堂寺橋の東に連なる台地上の、大坂城惣構えの内にある町であることに由来する。
田島町北&田島町南
江戸時代の初め「堀之外島町」といい「島町」が主要部となる町名であったが、当時の北組に属した「島町」との区別のため、市街地ではない島町に田舎の田を付し、田島町としたと考えられるが正確な由来は不明である。
谷町
上町台地稜線西側に南北に走る谷筋があり、当町がその谷筋に当たることに由来すると考えられる。
六~七丁目は「野漠」の名でよばれていた一帯で、大坂城三の丸の南面には谷町口門があった。